2012/06/12

無い袖は振れぬ、無いものは違えず。

梅雨入りしたんだが、寒かったり暑かったり安定しない日々。
安定しているのは雨が降り続くことか。
ちなみに「五月雨」とか「五月晴れ」っていのは旧暦の話だから
現代でいう六月のこと、梅雨のことだそうですよ。


今日はこないだラジオを聞いていて思ったことを少々。
ラジオでの話の内容は↓
http://podcast.tbsradio.jp/dc/files/miyadai20120608.mp3

宮台さんがまぁアツく語っているのだが、
興味をもったのは大学教育云々って話じゃなくて「価値観」の話。
「価値観」が無い、というのは結構新鮮な切り口。

よく「価値観」が違う、という話は聞くけども
そもそも「価値観」が無いのではないか、ということ。
「価値観」が無ければ比較にもならず、衝突にもならず。
そしてこの「価値観」というものを提示するのが
アートだったりするのかな、と。
新たな視点というか、新たな価値を見いだす。
そもそもアートというものが「価値観」の一種の現れだったりするのだろう。

そんなことを思ったので備忘録としてつらつらと。

それにしても「アート」という言葉を使うときの、
どこかむず痒い気恥ずかしい感じはなんなのだろうか。
日本ではいかにも高尚なこと、みたいな響きを持っているからなんだろうな。
アートがより身近になるにはアートという名前を捨てなければいけない、
これは大学受験時から思っている持論。
久々に思い出したわ。

でもこの言葉の響きが持つイメージというものはデカい。
「ダンス」に対しても「演劇」に対しても
言葉の持つイメージが貼付いている。
貼付いたイメージと上手く付き合いながら、時にはそれを破壊して。
そんなことをするべきなんだろうなぁ、とぼんやり。

なんだか脱線しましたが、今日は「価値観」の話。
嗚呼、虫歯が痛い。

2012/06/06

for what…ambivalentみたいな話。

明日は金星が太陽面を通過する、そしてAKB48の総選挙だそうだ。
フジTVで生中継するらしい。
へー


さて、前回紹介したバナナ学園の件。
紹介した手前、一段落ついたらしいということもご紹介。
http://banagaku.xxxxxxxx.jp/

で、今日発見した下記のまとめで個人的にはしっくりきた。
http://togetter.com/li/312684

今回のひと騒動で「何のために舞台に立つのか」「何故舞台があるのか」
という意外とシンプルなところに個人的に思い至る。
「観客」のためか、「自分」のためか、「演出家」のためか…
「観客」というのが一番しっくりくるのだが、
なんとなくどれもイマイチしっくりこない。
「自分」だとか身内のためだけにやっているのだとしたら
それは学芸会とあまり変わらない。
それは学芸会で補えば良い。
「演出家」のためにやっている、そうゆう側面もあるだろうけど
それだけじゃない。
ひょっとしたらそれだけになってしまったから今回のような騒動に
なったのかもしれない。

正直自分自身もよくわかりませんが、
よくわからないけどやっているからエネルギーがあるのかな、
と思ったりもする。
あとは前の日記http://bit.ly/KcTVVLで触れたようなアリの話か。
アリつながりで言えば、アリに対してのキリギリス的生き方の提示か。

脱線しますが星新一の「未来イソップ」のアリとキリギリスの話、
結構好きです。
アリのみでは人生つまらない、という感じ。
アリとキリギリスが良い具合に共生できれば良い。
そんな社会、素敵だわね。

よくわかならないけど、一生わからないのかもしれない。

でもそういった自己矛盾、舞台をやる理由はよくわからないがやる、
みたいなものを抱えながらもやっていることが良いのかもしれない。
大義名分とかを大っぴらに掲げすぎない方が。
掲げないけど、全力でやる。

とりあえずそんなスタンスで。
自分を納得させたうえで、挑む。

そんなことを今日バイトでアルミの足場を拭き続けるという
単純作業をしながら思ったのでありました。