2013/08/16

お盆。

O Born.
お盆ですね。


今日は朝から父と2人な日でした。

墓参りに2人で行き、2人で墓を掃除。
帰りの車では日本は島国的な根暗さが強みなんだから
グローバルな人材を育てるっていうのは英語教育のことじゃない、
みたいな話をしたり。

高速道路走りながら、日本全国道路通ってるし
ネット回線上で仕事のやりとりできるんだから
コレからは絶対地方というか「地域」がアツい、みたいな話も。

現に舞台業界は地方(わかりやすいように便宜上地方という言葉を使います)が
盛り上がってきていると思う。
そうゆう流れを見ていると、東京生まれ東京育ちの自分て不利なのかもなー、
と思ったり、東京生まれの強みを上手く活かしていきたいものです。


夜も2人で夕食を。
こないだの自分の舞台の話から色々クリエイティブとは何か、みたいな話まで。
観客が評価する評価というのは平面的なことが多く、
(例えばわかりやすかったとかわかりにくかった、とか)
そういった平面よりも平面の重なり、多層的な評価で見た時になにが見えるのか。
なんとなくではなく、全ての演出、動きに意図を持たせられるか。
明確であるのか、背骨があるのか、ということ。
言いたいことはとても良くわかったのだが、上手くまとめられんなぁ…

でも思ったことはそういった明確さ、よりも
内面からの衝動とか気持ちの強さ、ダンスの野性味というヤツだろうか?
いわゆるもっと説明のしようがないエネルギーみたいなものがダンスでは
評価されることがよくあるな、ということ。
そうゆうエネルギーの出し入れみたいなことも計算されて、
制御されているのだとしたら話はまた別なのだろうけども。

構成演出の素晴らしさと、出る人間に委ねられるエネルギー的な素晴らしさ。

舞台には両方あるから難しいと思ったのです。
そんなことを話していて、ちょっと印象に残ったのでメモ的に。


そして墓参りをしながら、次にこのお墓に入るのは父なんだろうなー、と
ちょっと感慨深くなりながら、
この人が生きている間にどんな姿を見せてあげることが出来るのだろうね、
と思ったり。

頑張らないといけませんね、いろいろと。


精一杯生きることが死者への最大の弔い、そんなことを思ったお盆でした。


2013/08/11

お幸せに。

大人少年「手帳の空白」無事終了いたしました。
関係してくださった皆様、2ヶ月弱の稽古を共にした出演者、
いろいろテンパっていた主宰を暖かく支えて頂いたスタッフ、
そしてご来場頂いた皆様に感謝多謝。

本当怪我もなく、無事終えることが出来て良かったです。

作品作りながらも、本番中もいろいろ思うことあり、それを忘れぬように
諸々ここに記しておこうと思います。



・「オリジナリティー」ということ
今回非常に考えさせられたことのひとつは「オリジナリティー」ということ。
正直作品を見て頂いた方はわかるかと思うのですが、
小野寺修二さんの影響が色濃く出ているかと思います。
自分でもそう思います笑

作品を作りながらも何度も考えたことではあります、
劣化コピーになるのではないか、と。
ただ今回の作品での挑戦のひとつとして小野寺さんの演出スタイルを使う、
しかしながら小野寺さんの作品とは違う自分らしさをだす、ということ。
結果はどうだったのか、と言われると…何とも言えません。
知っている方の感想としては多かったですね、似ている、というのは。
ただ逆に小野寺さんを知らない方の感想としては新しい、とも。
フーム…なんとも複雑。

頂いた意見で面白かったのはその人の使う「スタイル」と
その人の作品に低通する「テーマ」とのつながりが強ければ強いほど、
その「スタイル」を使うことが「テーマ」的にも似てしまうことになる、
というもの。
逆に創作として低通する「テーマ」みたいなものがあれば
「スタイル」はそのうちついてくるのではないか、ということ。

スタイルをマネながらも60分作品を作ることに挑戦してみることで
なんとなく自分のやりたいことはこの方向性かな?とか
興味をもっているものというのが少し見えたので
そこを上手く伸ばせていけたらオリジナリティーに
なるのかなぁとは思いました。

1発目の作品でいきなりそこまで成熟したもの作れるワケないですしね。

しかしまぁ難しいですね、「オリジナリティー」って。
ある動きをある人がアイコン的に上手く使えば
それはその人の「オリジナル」の様に思えてしまい、
後々それを使うことは「コピー」のように思えてしまう。

作る人はみんなそんなことと向き合っているんでしょうね。


・稽古に関して
なにぶん60分の作品作るのなんて初めてですし、
そもそも人を使って作品作るのなんて大学在学中以来ですし。

今まで参加させてただいた作品は
ほぼ毎日フルタイムで稽古するところもあれば、
週3回とかで稽古するところも。
多くの時間を共有し、積み重ねることのメリットも知っているし、
あまり稽古時間に縛られすぎないメリットも知っている。

正直舞台だけで食っていける人なんて極わずかで、
みんな何かしらの仕事と両立してやっているワケです。
舞台を続けていくためには、生活も続けていかなくてはいけない。
なのであまり負担になりすぎないように稽古を組み、
振りなどは作ってもらうことはあっても
自分が主導でバシバシ作っていくという形にしました。

しかしやはり時間がない中でやっていこうとなると
どうしてもトップダウン形式になってしまいがちですね。
本当はもっと多くの時間を使っていろいろ試しながら
最良のものを選びとれたらいいんですけど、それはなかなか難しい。
本番を終えてみての実感としては
もうちょっと稽古時間とれたら良かったなぁということ。

生活のすべてを作品に捧げることができて、生活も侭なるというのは
最大の理想ですが、今の日本じゃなかなかそうも言ってられない。
かといって作品にすべてを捧げていないからその作品はダメだ、
というのも酷な話。

恋愛とか結婚とか出産とか余暇とか、
そういった「幸せ」と自分の好きなことをやるという「幸せ」
どちらも両立したいものです。
バランスの問題なのか、妥協する度合いの問題なのか。
でも一度きりの人生ですし、どちらも諦めずに得ることを
貪欲に挑戦していきたいです。絶対相乗効果もあるはずですし。
そしてそれに挑戦しようとしている人に優しくありたいと思います。
「今」はダメでも「いつか」「そのうち」「近いうち」に得たいものは得る、
「今」ダメなら「今」頑張る。

このことは先日の安藤美姫選手の妊娠出産発覚事変(勝手に命名)のときの
報道とかの在り方をみていても思ったことなのですよね。
その業界にいる人、またはそのまわりにいる人、どちらも意識として
変わることが必要なことのひとつなんじゃないかと思います。

様々な道を許容する、ということが。


・観客について
今回メンバーがいろいろな出自だったり、面白いメンバーを集められたので
観客の層も幅広い感じ。
もちろん出演者4名中3名が玉川出身なので玉川率は高かったにせよ、
いろいろな客層に観てもらえたのは良かったと思います。
いろいろな意見も頂けるし。

以前から思っていたことではあるのですが、観客は一人一人違うということ。
だから全ての観客を満足させることは難しいということ。
やろうと思えば出来るのでしょうが、
例えばそれは同じ業界の、狭い世界の中での観客を集めて、
その方達好みの作品を作る、みたいなことだと思う。
それに近いことがコンペティションだったり、コンテストなんじゃないかな、
と最近は思う。もちろん賞を取ることでハクがつくことはありますし、
現に自分も足掛かりとしてそうゆうものに応募したりもします。
それが悪い、ということではないのだけども
そればかりを続けていては結局先細りなんだよな、ということ。

開演30分前にくる人もいれば、開演5分前にくる人もいるし、
チケットを予約受付開始時間直後に買う人もいれば、
当日券でフラッと観に来る人もいる。
そんないろいろな観客たちを全て満足させるのは難しく、
またその人たちの意見を全て聞いているわけにもいかない。
頂けるご意見はありがたいが、ある程度の取捨選択はしなくてはいけない。

わかりやすい、物語性があって観やすかったという方もいれば
わかりやす過ぎるという方もいる。
あちらを立てれば、こちらが立たず、難しいものです。
でも基本的には色々な人が観ても楽しめる、愉しめる、
そういうものを目指したい、とは思っています。


・頑張らなくちゃいけない、まだまだ弱音は言ってられない
一昔前は携帯電話も、SNSも、チケット予約管理サービスも無い中で
公演して集客していたと思うと、先人たちはすごいなぁと思うわけです。
その立場から言えば恵まれた宣伝活動環境や諸々揃っている今。
頑張らないわけにはいかないよなぁ、と思う。
頑張りすぎない程度に、頑張ります。


・「幸せ」について
前回のブログでも触れたことですが、
本当今回は「幸せ」ということについていろいろ考えました。
まぁどんなことを思っているかは前回のブログを参照してください。
以前仕事で合同企業説明会の記録撮影をしていたときに出会った
印象的な言葉があります。

「企業は誰の幸せのためにあるのか?社員とその家族のためです。」

はっきりは覚えていないけども、そんな内容の言葉。
舞台も同様で、観てくれる方のためにやるというのはもう大前提で
やっている本人たちが幸せでなくてはいけない、そう思います。
だって正直こんな効率の悪いことやってて、楽しくも幸せでもなかったら
正直しんどすぎますよ。

今回参加して頂いた出演者、スタッフの皆様が参加していて
楽しかったり、幸せだったのであれば、
それだけでもう俺は充分です。
ただ作品が作れただけでも幸せですし、そのうえ関係者が幸せなのであれば
言うことはないです。
「キミの意志で決めたことなら、それは幸せですよ。」
「でもあなたはそれで納得できるの?」
「…納得させるよ、キミの幸せのためだ」
「ひとの意志ばかりを尊重して、やさしいだけじゃダメなこともあるよ」
さてさて、色々ありましてなんだかポッカリ穴があいてしまった気分。
この穴を埋めるために旅に行ってきます。
旅行ではなくて、旅。
前旅にでたのは2009年かな?
卒業直後で色々あって「なんか旅出てぇ!」て感覚だったのを覚えています。
今回もそんな感じです。
旅にでて、自分を無くして、穴を埋めて、満たしてきます。
旅で精神デトックス。

だから8月は働いてちょいとお金貯めるよー。
夏はまだまだ、これからです。

2013/08/03

「幸せ」について本気出して考えてみたら。

でました、安定のブログ放置具合。
もう気がついたら2013年もとっくに折り返して、夏になってしまいました。
HPの方ではお知らせしましたが、
自身のプロジェクトユニット大人少年を立ち上げ、
「手帳の空白」という作品を上演します。
ええ、もう明後日小屋入りです笑
正直平時にブログアップしないでなんでこんな時にブログアップしているのか
よくわかりませんが、気分転換も兼ねて。


今作っている作品の内容も相まってか、
最近「幸せ」とはなんだろうな、とよく考えます。
もちろん社会的に、普遍的な「幸せ」というものはあるかと思います。
でもあの人にとっての「幸せ」が自分にとっての「幸せ」とは限らないし、
「幸せ」というのは各個人で相対的に違うものなんじゃないか、と最近思う。
ある人が「幸せ」であることが自分にとっての「幸せ」であって
そのある人が「幸せ」になるために自分が損を被ることとなっても
それは「幸せ」なのかもしれない。
お金があれば「幸せ」なのかもしれないし、
でも未曾有のカタストロフがきたらそんなものは一気にひっくり返るし。

なにを選択するのか、ということ。
そしてそれは自分の意志であるということ。
自分の意思で決めているのであれば、きっとそれは「不幸せ」ではないはず。
好き好んで自分から「不幸せ」になろうという人は、きっといない。
もちろん誰かのことを考えると、自分の意思が縛られることもある。 
でもその誰かのことを考えることが自分にとっての「幸せ」なら
それはそれで「幸せ」なのかもしれない。
一種類の「幸せ」だけじゃなくていろんな「幸せ」に寛容になれたら
息苦しくなくてみんな「幸せ」なのではないでしょうかね。

でも子どもが生まれる、って言うのは多分普遍的で全生物共通の
「幸せ」なのだろうな、と最近出産した方のFBページなどを見ていて思う。
だからその普遍的な「幸せ」は社会が、国が
最低限保証すべきなんじゃないかなーと思う。
…はい、突然政治的な話がカットイン笑

いろいろな「幸せ」になろうとする思いと「幸せ」になって欲しい思いが
交錯し合っていて複雑なもんだなー、と思うわけです。
考えだしたらちょっと塞ぎ込みました笑

そんなこんなですが、優しい作品に仕上がるといいなぁと思いながら
最後の詰め、頑張ります。
でも選曲とか構成は結構ハードな作りなんだよね笑


公演詳細↓

大人少年 公演「手帳の空白」

自由あるいは安定
未定あるいは反復
日常あるいは非日常

優柔不断
行ったり来たり

ないものねだりのデットヒート

【日時】
2013年8月6日(火) 20:00 開演
        
7日(水) 14:00 開演/20:00 開演
        8日(木) 14:00 開演


構成・演出:三橋俊平
出演:金井迪大    [劇団S.W.A.T!]
   下山マリナ[世田谷シルク]
   渡邊絵理
   三橋俊平
照明:関口大和 [(株)ASG]
音響:佐久間修一
制作:久我綾子
製作:大人少年

【料金】
前売/当日 3,000円(1Drink込/全席自由)

【会場】
Performing Gallery &Cafe 絵空箱

有楽町線「江戸川橋」駅 徒歩2分/東西線「神楽坂」駅 徒歩9分
[HP]http://esorabako.com/index.html

【チケット予約】
2013年6月17日(月)10時 予約受付開始
CoRich 舞台芸術!
http://stage.corich.jp/stage_detail.php?stage_main_id=35913



ご連絡頂ければチケットおとりします。
TwtterのメンションなりDM、Facebook経由でも大丈夫です。



さて、まだラストシーンが仕上がってないからそれの構成せねば…
本番まであと3日、やれることはまだある、最後まで全力で。