2015/12/31

シルヴィ・ギエムと私の距離。

あっという間に今月も、というか今年も終わります。
今月は本当に早かった…
月初めのIntegratedDanceCompany 響-kyoで参加した「障がいとアーツ」での
「Border-境界」からの抜粋発表に始まり、
月中頃の即興イベント「TAIMAN vol.2」先週末の「Time to go」と
ダダダーッと年末のイベントラッシュ、
合間合間には年明けソロのリハ、
と盛りだくさんな12月でした。

今年は過ぎてみれば早く、過ぎ去ってみればあれもこれも今年か、
と思うような一年でした。
個人的にも節目の年齢を迎え、思うことも多く
社会もなんだか色々ザワついていたかのように思います。



最近よく思うことは、「ダンス」てなんだろうね、ということです。

今晩、世界的なダンサー、シルヴィ・ギエムが引退します。
http://mainichi.jp/articles/20151231/k00/00m/040/094000c
「世紀の天才」と言われるものすごいダンサー。
今回の世界ツアーの、日本公演のチケットもソールドアウト続出、
価格高騰したチケットも続出。
知り合いの方でも観に行った方が多く、素晴らしい公演だったそうです。

が、個人的にはあまり興味が湧かなかったのだよなぁ…
映像で観たことしかないですが、
シルヴィ・ギエムは素晴らしいダンサーだということは知っているし、
その方が引退するということに思うところはあったのですが。

色々考えてきて思ったのは、自分が経由してきた「ダンス」に
シルヴィ・ギエムの要素が無かったのだな、ということ。

シルヴィ・ギエムは強靭な肉体をもち、バレエ界の女王であり、
世界的にコンテンポラリー・ダンスを牽引してきた人物。
片や自分はコンテンポラリー・ダンスを始めるまで
とくにダンス的な素養も無い人間。

そういったことを考えてみると、自分が求める「ダンス」というものが
見えてくるような気がしました。

どの「ダンス」が正しいだとか、優れている、ということではなく
各々異なる「ダンス」というものを持っている。
自分の「ダンス」をやる、ということと
ダンサーとして他人の「ダンス」作品に出るということ。
今年一年色々な方の作品に出させていただく機会、
様々なシチュエーションで関わらせていただく機会も多く、
「ダンス」に関して色々思わされました。

今年思った「ダンス」にまつわる諸々を持って
来年に活かしていきたいと思います。


まずは年明け一発目、19日の「ダンスがみたい!新人シリーズ14」で
発表するソロ作品「be here」
奇しくも「ダンス」に関する自分が思う、
あれやこれやをぶつけている作品になっています。
難航していますが、面白いというか、興味深い作品に仕上がるかと。

30代に突入し、ひとつギアを入れる感覚というか
そういったものを大切に2016年も精進していきます。


今年も一年お世話になりました。
2016年も皆様にとって、自分にとってよい年になりますことを祈って。
良いお年をお迎えください。


さーて、年越しはシルヴィ・ギエムの「ボレロ」をテレビで観るぞー
なんだかんだ言ったけどきっと感動するんだろうな笑
それが私のシルヴィ・ギエムとの距離感だと思います。

2015/12/04

存在の耐えられない軽さ。

師走になりまして、もう今月で今年も終わりです。
早いものだなぁと思いながらも振り返ってみるとあれもこれも今年です。
が、まだ振り返るには早いので取り敢えず今月の諸々頑張ります。



今日TwitterでこのようなTweetを見かけまして…
https://twitter.com/Nshatner/status/672264924500901888
https://twitter.com/Nshatner/status/672267009560723456
自分としては非常に同意なのですが、そんなに嫌なものなんでしょうか?
なんでわざわざブログに書いているかていうと
今日一日でやたらこの話題をSNS上で見かけたからなのですが。
これとかもね↓
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151203-00000149-nksports-ent
だいぶ前から閣下は言っておられたわけだけども…↓
http://attrip.jp/103886/

うーん、どうなんでしょうね?
もちろん自分も告知のお知らせをさせていただくことは多々あるし、
都合で行けないという旨を連絡もらって多少残念に思う気持ちもあるが
そんなに言うほどではないしなぁ、というのが実感。
むしろ返信くれてありがとう、とか
興味もってくれているのかどうか、ていうこと自体に思いが及ぶ。

まぁそれはつまり返信がない人は興味ないんだな、と落ち込んだり
次回から告知を控えようという選択肢の出現に繫がったりしちゃうわけだが…

たとえ観に来ていただけなくても作品作りは全力でやるし、
むしろ観に来れなかった人残念ね、と言えるくらいの作品を作る気持ちで
毎回取り組みたいです。
だから出演者だとしても、作品を取り仕切りる作家だとしても
全力で作品にあたる、ということは大切にしたいものだな、と。


こうゆうことって集客ということへの意識だったり
作品への意識と関係してくることなんだと思います。
集客する以上は良い作品にする、ということ。
良い作品だからこそ見てもらいたい、ということ。

チケットの売り上げが直に影響する興行的なものだとか
助成金が出てるから集客できなくても赤字出ないぜー、とか
ということ以前に「なぜ舞台に立つのか?作品を作るのか?」ていう
シンプルなことへの意識なんじゃなかろうかと思います。

チケットノルマで赤字になっても舞台に出たい、作品を作りたい、
という自己満足的なものなのか。
もちろん自分の好きなことをやりたいという意識から始まりながらも
どのくらい先にまで意識が及んでいるのか、ということ。
嗚呼、なんだか自分書いててもチクリと刺さるなぁ…笑
自戒も込めてますね。

話が脱線したような気もしますが…
なんにせよ、出演者であれ作家であれ作品に関わる以上は良い作品にする、
ということに尽きる、てことだと思います。


翻って、観客としての立場はどうだろうか?
行けなくても応援してますよ、というのは伝えるべきなのか。
SNSでも議論を呼ぶようにこれは作り手側も多様なので難しいところですが
個人的には行けなくても返信もらえると嬉しいな、と思います。
というのも自分がやっているのが「わからない」とか「難しい」とか
言われることの多いジャンルなので、「これやっている意味あるのかなー」て
思ってしまうことがよくあるからなのかもしれませんが。
もちろん個人的にはやる意義とかモチベーションはあるのですが
それが果たして求められているものなのかどうか、というのを測るには
やはり実際に足を運んでくださるお客さんがいるかどうかなワケで。
どれだけ求められているのか、ていうのは気になるとこです、個人的には。

内輪同士で観客になったり、出演者になったりということが多い、
狭い世界なのでとくに。

だから観客としては本当に劇場で観る「ダンス作品」や「演劇」が必要で
好きだと思っているのならどんどん足を運んで欲しいな、と思います。
映画に比べれば高いし、値段に関わらず当たり外れ多々あるし、
観に行くことへのハードルは高い。
でも本当に必要というか、無くなったら嫌だなと思っているのであれば
足を運んで欲しい。
ここ数年で色々な劇場が無くなっていて、
そうじゃないと日本の劇場文化って廃れていくんじゃないかな、
と思っている部分もあります。脆さを感じます。



色々と書いてきましたが、好きなモノや消えて欲しくないものがあるのなら
応援すべきなんだな、てことなんだと思います、何事も。
それは好きなファッションブランドなのかもしれないし、
好きな音楽アーティストなのかもしれないし、
安全な野菜かもしれないし、安全な電力かもしれないし、
平和な生活なのかもしれない。
どれも脆く、支えられること無くては消えてしまう存在なのだと思います。

……お、なんかうまいこと着地した感じ。

最後に今回の内容を思いながら脳内にリフレインした曲を貼っておきます。
https://www.youtube.com/watch?v=Lig1Z2DBk08


と、まとめきれたように思ったら、
これって妖怪の存在とも通じる話なのかもね、と思ったり。
畏怖するモノ(≒妖怪)が原因が判明して、目を向けられなくなっていって
消えていく、みたいな。
…ちょっと違うか?
先日(11月30日)水木しげる先生が亡くなったから
無理矢理繫がった、繋げたのかもですね笑