2017/05/27

ラウド・マイノリティー。

気がついたら久々のブログ更新。もうね、書き始めの定型文が大抵「気がついたら」とか「久々に」なのです。
さらに言うと、大学卒業したくらいから使っていたデスクトップ(iMac)がグラフィックボードからオジャンになったので
先月末くらいにMacbookProに買い換えたのですが、買い換えて以来のブログ更新なので
編集画面のフォントなどが違ったりして若干戸惑っています。
そのくらいに久々です。

最近は4月から新生活な感じが始まりまして、色々あーせねばこーせねばなど思ったり実践しているところです。
一週間における早起き回数が減りまして眠気で気を失うというのが無くなったというのはいいことかも。
リハとかの兼ね合いで夜寝る時間はどうしても遅くなるから遅寝早起きだと身体が追いついてなかったんですね、きっと。


今日は国会議事堂前までデモに参加しに、と言いますかデモを眺めに行ってきました。
「デモなんて意味ねえよ!」みたいな意見はSNSでも散見しますし、
個人的にも過去の経験からそのような感覚はあるのですが、かと言って諦念に浸ってしまうのもなんかムズムズするので
とりあえず物見遊山的な気分でまぁいっちょ見に行ってみるベー、と軽い感じで行ってまいりました。
行ってもコールとかはやらないですし。
そのぐらいの軽い感じが必要な気もしますしね。


それで30分弱ほど道路の対岸でシュプレッヒコールの様子を眺めたりしながら思ったのは
結局これって「永田町」の中の話でしかないんだろうなー、ということ。
国民が直接的に意見を表明する(≒デモ)ということが行われているのは国会議事堂の前であって
実生活の場にまでは波及していない、ということを感じたのです。
他の場所でもやっているのかもしれませんが、比較的SNSなどでそのテの情報に触れる方だとは思う自分でも知らない。
ので一般的にはさらに知られていないのでしょう。
結局「国会」の中でしか政治の話がされていない。
もちろん議員は選挙によって国民に選ばれた代表で、その人たちが議論(実際しているかどうかは今は置いておいて…)しているのだから
それでいいのかもしれませんが、だからと言って選挙が全てじゃないし、選挙の時だけ盛り上がればいいわけではなし。
政治なんて実生活に直接関わってくることなのに生活レベルで話されることはほぼない。
むしろ忌避される話題ですもんね。そもそも話し合うとか議論に慣れてないということもありますでしょうが…
そりゃやっても意味ねーわ、てなるのも頷ける気がします。
国会議事堂前でデモが繰り広げられていても偶発的にそれに出会う人もいないし、知っている人しか出会えないわけで。
そう考えると外山恒一さんとかはまぁやり方としては上手いのだろうな、と思います。
結局政治が興味ある人だけのものなんです、実生活に関わりながらも。
だからもっと根本的に考えなきゃいけないこともあるんだろうな、と思います。


さてさて、政治的な話は重くなりますね〜
本題はここからで、こうゆう事って別に政治に限った話じゃないよなー、と感じたわけです。
要するに内輪、ということ。
偶発的に全く知らない人が出会う機会が用意されているか、ということ。
もちろん情報をキャッチする側の積極さも関係するかとは思いますが、担い手がどれほどそのことを意識しているか、
というのも多分にあると思います。
内輪の中に入って見ないとわからないことも多々あるし、内輪に入ってみて「ダメだ〜ッ」となれば出ればいいし。
でも入り口がちゃんと開かれているか、というのは大事ですよね。
いきなり内輪に入っていくのはやはりハードルが高い。

自分も車椅子のダンサーを含むダンスカンパニーに関わっていなければ、
今ほど知的身体問わず障害全般にセンサーが働くこともなかったかもしれないし、興味を持つこともなかったかもしれない。
色々な世界に違う角度から切り込めるか、切り込む入り口があるか。
自分の知っている世界と全く関係ない世界を結ぶ回路が開かれているか。

最近はダンスとか、芸術におけるそうゆうことに興味があったりします。